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    <title>蓮井内科医院 blog</title>
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    <title>「鳶が鷹をうむ」ことはあるか</title>
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    <published>2008-09-28T03:26:17Z</published>
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    <summary>鳶が鷹を「産む」ことは、ない。 しかし、鳶が鷹のような「鳶」を「生む」ことはある...</summary>
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        鳶が鷹を「産む」ことは、ない。
しかし、鳶が鷹のような「鳶」を「生む」ことはあるでしょう。
そして、鷹のような鳶でも産むのはやはり、鳶でしょう。
へんなことを考えてしまうのは、公職に就いた二代目、三代目の不細工をこうまで立て続けに見せられる所為でしょうか。
公職に就くために、地盤を引き継いでなどというのは、マイナス要因でしかないでしょう。
独り立ちできないことの証明のようなものです。
二代目、三代目の意味があるのは、私的な「家業」でのみでしょうか。
それでも、基本的には難しいと思います。唐様で売り家と張り出すのが昔からの相場のようです。
新聞などで、公職に就く人が、誰それの子だ、孫だと囃されるのを、当人はどう思っているのでしょうか
尋ねてみたいものです。
もっとも、対面することもないでしょうが。
        普通の感覚では、俺は俺だと思うでしょうが。
嫌がらせ、冷やかしとは思わないのでしょうね、キット。
「鷹」のような偉い人だと思われていても、子供の鳶を、「鷹」とほんとに思っているのでしょうか。
俺でもやれたのだから、ということかもしれません。
親鳶も鳶で鷹ではないといっているようなものでしょう。
子鳶が勘違いして、「鷲」だと思っているかもしれませんが。

現在の科学では、今のところ、獲得形質は遺伝しないとされています。

鳳は南瞑をめざして飛び立ってしまうのでしょう。
残された燕雀は自力で鳳になるしかないのです。
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    <title>夏終</title>
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    <published>2008-09-08T00:09:48Z</published>
    <updated>2008-09-08T02:00:57Z</updated>
    
    <summary>　７月、８月は相当な暑さだったように思います。蝉は元気に朝早くから鳴いていました...</summary>
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        　７月、８月は相当な暑さだったように思います。蝉は元気に朝早くから鳴いていましたが、こちらは、暑さも加わって睡眠不足の毎日でした。蝉も無く時間帯によって棲み分けているそうですが、朝鳴きの蝉の名前は、覚えたつもりでしたが忘れました。これは、暑さではなく歳のせいかもしれませんが。普通にいる蝉だったと思います。
　その蝉の音も下旬にはあっという間に聞こえなくなりました。猛暑から普通の夏になったのでしょうか。一時は、もう開きかと思わせられましたが。同時に「夏バテ」でしょうか。疲れを感じるようになりました。暑い間は、何もしなくても体は緊張していたのでしょうか。
　「ダラーとしていても緊張するとはこれ如何に」。
        　人間も恒温動物ですので、体温は一定に保たねば生きていけません。あまり周りが暑すぎると体温を維持するのに、エレルギーを使いますが、体温を下げるためには、余計なエネルギーが必要なのでしょうか。
　気化熱で体温を下げるために、物（エレルギー）を燃やすのは、いかにも効率が悪いとは思いますが生き延びるためには仕方がありません。涼しくなってきますと、オーバーワークの付けが回ってきたのでしょうか。ダラーとするのがオ＾バーワークとも思いにくいのですが、体にとってはそれもしんどいことではあるのでしょう。夏日がなくなるとひとまずはやれやれです。
　
　夏ばての「ばて」は、どんな字を書くのだろうと考えていました。「果て」「果」くらいしか思いつきませんでしたが、先日、地名に「○○終」と書いて「、○○はて」と読む所があるのを知りました。それで夏の終わりを「夏終（なつばて）」と読んでもいいのかもしれないと思いました。
　タイトルは、「夏ばて」と読んでください。おやじギャグのひとつです。
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    <title>雨あられ</title>
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    <published>2008-06-29T07:33:40Z</published>
    <updated>2008-06-29T08:12:03Z</updated>
    
    <summary>今朝、新聞のスポーツ欄にあった見出しです。 「雨あられ　虎１５安打」とありました...</summary>
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        今朝、新聞のスポーツ欄にあった見出しです。
「雨あられ　虎１５安打」とありました。
しばらくの間、虎が勝ったのか負けたのか解りませんでした。
特に阪神フアンというわけでもないので、昨日の結果を知っているわけでもなかったのです。
それで、「雨あられのごとく、虎が１５安打を浴びた。」ととっさに思ってしまったのです。
本当は、１５安打を打って、勝ったのだそうです。
ゆっくり考えれば、見出しは勝ったほうを肯定的に扱うでしょうから、早合点には違いありません。
それでも、日本語としては、「雨あられ」は受身の用語ではないかと思います。
        日本人は、雨あられは、天から自分のほうに向かってくる感覚ではないでしょうか。
西洋人にとっては、「雨あられ」は、客観的なものであり、自らを天に置いて、相手に向かっても雨あられを浴びせられるという発想もありそうですが。
もともと日本語は、主語もあまりはっきり発声しません。
しゃべらなくても、主語は理解できます。
同じように、言葉自体にも、能動、受動はあるのかもしれません。
そうであれば「雨あられ」は「浴びる」に繋がると思うのですが、これは私の勝手な解釈かもしれません。
それでも最近使われている日本語の受け止めに、何となくギクシャク感を覚えます。
日本語の用法が日本人とともに、変化しているような気がします。
「情けは人のためならず・・・」「気の置けない人」なども、こちらの意図と、逆に受け取られるかもしれません。
これからは、主語も述語もはっきりさせなければいけない時代なのでしょうか。
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    <title>逐次投入　各個撃破</title>
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    <published>2008-05-18T04:50:57Z</published>
    <updated>2008-05-18T05:39:20Z</updated>
    
    <summary>　この春は、いろいろな制度が変更されて、対応にきりきり舞いをさせられている。早く...</summary>
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        　この春は、いろいろな制度が変更されて、対応にきりきり舞いをさせられている。早くから分かっていることことも、詳細の周知はない。全体像を示したつもりでも、単純な疑問も、個別の定義が明らかでないため、一々確認が要る。ストレスばかりが溜まってしまう。こんな指揮官や参謀のもとで戦争などしようものなら、前線は壊滅まちがいなしで負け戦は目に見えている。それでも、法律を作った者も、運用するものもきっと口をぬぐってしらばっくれるのが歴史の教訓かもしれない。
　「逐次投入、各個撃破」は軍事用語と思います。まずい用兵の典型で、逐次に兵を投入すれば、個別に撃破されるのでやってはいけない運用の初歩のようです。
　４０年近く前、医者になりたてのころ、結核の化学療法の要諦を当時の京大結核研究所の名誉教授に病棟回診の後の雑談で教えてもらいました。

        　当時は、化学療法でかなり結核の治ってくるようになっていましたが、耐性菌（薬が効かなくなった菌）が問題になっていました。新薬が開発される度に、患者さんは直ぐ使ってくれと希望しましたが、結核菌は１個の兵力（薬）では太刀打ちできないのが明らかでしたので、２剤、３剤と強力な薬ができるまで待ってもらいました（多罪併用療法）。情に絆されて、１剤で使ってしまいますと、すぐに耐性ができてしまい、その患者さんだけでなく、他の患者さんにも新しい耐性菌がうつってしまいます。
　病気の治療は、対症療法ではその場しのぎです。戦略的な治療が重要です。病気治療だけではなく何事でも一緒だと思います。取り繕いは、迷惑なことが多い。
　のどもと過ぎれば熱さを忘れ。
　
　最近のイライラさせられる世の中で、昔の言葉を思い出しています。
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    <title>エイプリルフール</title>
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    <published>2008-04-01T07:58:54Z</published>
    <updated>2008-04-01T08:45:16Z</updated>
    
    <summary>4月1日がいつのころからエイプリルフールになったのでしょうか。 いろいろなところ...</summary>
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        4月1日がいつのころからエイプリルフールになったのでしょうか。
いろいろなところで、新人が、訓示を聞いたことでしょう。
お役所でも同じことでしょう。
大臣といわれる人が、新人相手に教訓を話すのでしょうか。
365日、世の中のことなど眼中にないような振る舞いの右代表のような人がしゃべるのです。
明日の新聞などで、一部は報道されるでしょうから、どんなすばらしいことを言ったかも少しは分かるでしょう。
新人は、素直に聞くでしょうが、しばらくしたらキット気がつくことでしょう。
        あの話は、4月1日だったと。
ひょっとしたら、4月1日だから、普段とはまったく違うことを言っているのかもしれない。
こんな話を真に受ける奴もいないだろうから、真に受けて騒ぎになることもあるまいと思っているのかも。

言葉が信用されなくなったら、お終いですな。
くわばらくわばら。



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    <title>春の月</title>
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    <published>2008-03-30T05:47:58Z</published>
    <updated>2008-03-30T06:27:08Z</updated>
    
    <summary>久しぶりの寒い冬も、彼岸前には急に終わってしまいました。 彼岸のころには、いつも...</summary>
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        久しぶりの寒い冬も、彼岸前には急に終わってしまいました。
彼岸のころには、いつもどうりの気候でした。
彼岸に寒いのはいつものことだという、有名な俳句がありましたが、思い出せません。
寒かったので、しばらくの間、閉じこもっていましたが、ボツボツ外出するようになりました。
いつものことですが、電車で出かけますと、東の空がみえます。
6時過ぎにはちょうど視線の先に、月が見えます。
先日も満月の朧月が出ていました。
久しぶりに10分くらいの間、オレンジ色の月をぼんやりと見ることができました。
車などでは、危ないし低いしそうのんびりとは見られないでしょう。
        春宵一刻値千金。
栗林公園へ行きたいですが、東の空では、ビルが増えたのであまりいい場所もないかもしれません。
思わぬところで、朧の月が見えるのもいいものでした。
数日後、朝の6時ごろに朝の散歩を再開しました。
もうこの時間帯では、街は動き始めていますが、田んぼの中の道は静かなものです。
南へ向いて向きを変えると、左側をすっきりと白く輝く月が浮かんでいました。
雲ひとつなく、日の出とともに輝く月もすばらしいものでした。
春は曙。
日の出前後の輝きは、昔から変わらないのでしょうか。
枕草子を読んでみたくなりました。
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    <title>大寒の雪</title>
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    <published>2008-01-23T00:18:33Z</published>
    <updated>2008-01-23T00:43:14Z</updated>
    
    <summary>瀬戸内でも、今年は大寒と共に積雪となりました。 暖冬続きでしたので久しぶりの寒の...</summary>
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        瀬戸内でも、今年は大寒と共に積雪となりました。
暖冬続きでしたので久しぶりの寒の寒さです。
寒いときは寒いほうがいいように思います。
西のほうでは、夜からの雪が、屋根から落ちる音が続いたそうです。
我が家の周辺では、山に雪が張り付いていますが、ミゾレで終わりました。
なんとなく取り残されたような感じがします。
積もらないほうがいいのですが、野次馬なのでしょうか。
１日で雪は終わりましたが、寒さは続くようです。
冬が寒いのはいいのですが、そこはかとない薄ら寒さを感じるのは、いやなものです。

        世の中、なんとなく閉塞感が続いているようです。
去年の「歳漢字」は偽だそうです。
今年は、寒で始まり、虚に進むのでしょうか。
節分の豆まきくらいで、すっきりしたいものです。
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    <title>タイムマシン</title>
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    <published>2008-01-08T00:32:59Z</published>
    <updated>2008-01-08T01:43:42Z</updated>
    
    <summary>ＳＦによく出てきます。 時間と空間を超えて移動できる機械のことでしょうか。 あっ...</summary>
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        ＳＦによく出てきます。
時間と空間を超えて移動できる機械のことでしょうか。
あったら面白いでしょう。
ドラえもんの「どこでもドア」もタイムマシンの一種でしょうか。
ありえないように思えますが、考え方次第かもしれません。
自分に関することは、記憶という形で時間は超えられます。
空間は超えられないようですので、マシンとしては高性能とはいえないかもしれません。
情報が蓄積される脳は、一種のタイムマシンです。
ただ、自分に関してだけになりますが。
        そうすると、自分以外の脳は、自分以外のことに関するタイムマシンでしょうか。
他人の話を聞くことは、タイムマシンに乗って、時間、空間を移動していることかもしれません。
当然、情報の質の差はあるでしょうから、マシンとしての性能もいろいろでしょう。
人は、タイムマシンかもしれません。
「我以外皆師」という言葉がありますが、昔の人は、他人をタイムマシンにしていたのでしようか。
最近は、自分のマシンしか操らない人が多くなっているのかもしれません。
ほかのマシンの性能が落ちているのかもしれません。
それでも、質を見極めて上手に乗ったほうが超えられる時間、空間が広がるかもしれません。

「何とか詐欺」の多い世の中ですから、乗せられないように、自分で乗ることが大事だとは思いますが。

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    <title>言葉がひっくり返る</title>
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    <published>2007-12-16T05:46:16Z</published>
    <updated>2007-12-16T06:19:08Z</updated>
    
    <summary>最近、自分の言葉の発音が逆になることが多くなったように思う。 頭では、ただしく理...</summary>
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        最近、自分の言葉の発音が逆になることが多くなったように思う。
頭では、ただしく理解しているのだが、発声すると逆になっていることがある。
例えば、「道の駅」。
発音すると、「エキノミチ」。
最初のインプットがまちがってしまったのかもしれないが、ほかにもあるのです。
名前なども逆に出てしまいそうになることがある。
「田中」さん。
「タナカ」さんというつもりで「ナカタ」さんといいそうになる。
「中山」さんも「山中」さんもあぶない。

        どうも文字をよんで発音するときに間違ったり、間違いそうになることが多いようだ。
目で認識するのと、声で発声するのとで、頭の中の経路が混乱してきているのだろうか。
横書きで書かれている時に、間違いそうになることが多いようにも思う。
昔は、日本語は右から読むのが常識でした。
いつのころからか、横書きの場合には、左から読み始めるようになったようだ。
もちろん、私の世代はもう横書きは左から読むようになっていました。
自動車の車体にかかれた横書きは、左右で逆になり前が書き初めになっているのもありましたが。
それでも年をとるにしたがって、書などで右から読むことにも少しずつ慣れてきたのかもしれません。
これは、一行一字の縦書きなのだそうですが、当方には一行横書きに見えてしまいます。
年とともに右から読むことも、左から読むこともあるということを学習したから、逆転して呼んでしまうようになったのでしょうか。
そうでは無く、やはりこちらの頭が老化してきたためでしょう。
まだ若かったころに、当時の大人が言葉を逆にいうことがあり不思議に感じていました。
自分が年をとってくると、同じようなことが起こってきました。
不思議には思いますが、笑ってしまいます。
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    <title>「まがる」「めげる」</title>
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    <published>2007-11-08T01:20:45Z</published>
    <updated>2007-11-08T01:57:00Z</updated>
    
    <summary>まがると云う字を見て、突然「まがる」という讃岐弁を思い出しました。 昔は結構よく...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hasui-i.com/weblog/">
        まがると云う字を見て、突然「まがる」という讃岐弁を思い出しました。
昔は結構よく聞いていたように思います。
自分もつかったかどうかはよく思い出せません。
気にしていないので、きっと使っていたと思います。
「邪魔になる」というほどの意味でしょうが、しゃべり言葉では思い出しても字はわかりません。
「曲がる」でいいのでしょうか。
自分の行動、意思などがまっすぐ行えなくて曲がってしまうことなのでしょうか。
ふるい言い回しのようには思います。
        讃岐弁は、古語が起こっていますので、「まがる」も古語でしょうか。
そうだとしたら、他の地方にも同じような言い回しがあるかもしれません。
もしあれば、どんな漢字をあてているか知りたいものです。
間借る、魔駆る、・・・おやじギャグ風に当て字はいくらでもつくれますが。
まがる、まがると思っていると、「めげる」というのも思い出しました。
壊れるというほどの意味でしょうが、これもどんな字を書くのでしょうか。
最近はあまり聞かなくなっていましたが、若い人達の間では復活しているのでしょうか。
「めげない」「へこたれない」というような意味で使われているのでしょうか。
「めげた」という言い方も聞きます。
昔の印象では、物が壊れたという感じですが、自分が壊れたというような使い方を聞きます。
前から同じような使い方をしていたのでしょうか。
こんな言葉もどのくらいの広さで通用するものか、興味があります。
解っても、それでどうしたということもありませんが。
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    <title>情報の誤り</title>
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    <published>2007-10-16T00:38:34Z</published>
    <updated>2007-10-16T05:02:18Z</updated>
    
    <summary>先日、首都圏で電車の自動改札システムに故障があったと報道されました。 そのときに...</summary>
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        先日、首都圏で電車の自動改札システムに故障があったと報道されました。
そのときにメディアが使ったタイトルに、原因は「情報の誤り」によるというのが在りました。
情報の誤りとはどういうことか、すぐには理解できませんでしたが、どうも「情報処理の不具合」ということのようでした。
情報の誤りをコンピューターが反応して故障したのなら、偽情報（偽切符）が大量に使用されたのかとも思ってしまいました。
コンピューターは、決まった情報を処理するのでしょうから、その他の情報は、無視するしか無いでしょう。
それでも情報は情報ですから、「情報の誤り」という日本語は成り立たないのではないでしょうか。
        情報に優劣、真偽はあるでしょう。
この場合は、「誤った情報」であり「重要でない情報」ということでしょう。
どう扱うかは、判断する人の責任です。
コンピューターは判断できません。
仕分けをするだけです。
先日、自衛隊の油の補給量で入力ミスがあったとのことです。
兵站に関することが、入力ミスでずっとまかり通るのでは、もし戦争中なら、前線は壊滅するでしょう。
六十数年前には、現実にあったとのことです。
判断をする人が、情報（数字）に実感が無いのではないでしょうか。
判断者の能力を超えた情報は、結局蜃気楼のようなものかもしれません。
人間が作る軍隊で、勝てる軍隊は存在しないのではないでしょうか。

観れども見えず。・・・見れども観えず。
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    <title>言葉の力</title>
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    <published>2007-09-24T23:36:11Z</published>
    <updated>2007-09-25T00:46:30Z</updated>
    
    <summary>言葉は伝わりにくいと思いませんか。 話したことが、少しずれて伝わっているのに気が...</summary>
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        言葉は伝わりにくいと思いませんか。
話したことが、少しずれて伝わっているのに気がつくことはよくあります。
訂正しようと思っても、話題はもう変わっています。
かなり後になって逆に伝わっていることが分かることもあります。
人の話を聞くことでも同じことが起こっているかもしれません。
相手がしゃべったことと、こちらが理解したこととが同じである保障はありません。
あまり問題も起こらずにやり過ごせているのは幸運なだけでしょうか。
大まかなことだけで進んでいるのでしょう。
        昔、「大体やネー」という言葉から始まる評論家がいました。
いろいろなことを批判していたように思いますが、結局は「ダイタイ」のことだったのだろうと思います。
言葉は狭い範囲の中で通用する符牒か、隠語のようなものかもしれません。
範囲外で通用するようになると、定義をはっきりとさせなければ誤用や反対の意味になるかもしれません。
慣用語が変化したり、逆用されたりしているようです。
言葉は世につれて変化するものでしょうから、今使っている言葉の定義を常に意識しないと間違ってしまいます。
落語の世界では、常に定義違いの会話で話が盛り上がります。
世間一般も結局、落語の世界と同じかも知れません。

以心伝心・・・・ありえるのかなあ。
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    <title>クールビズ</title>
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    <published>2007-09-05T22:50:37Z</published>
    <updated>2007-09-05T23:39:27Z</updated>
    
    <summary>今年の夏は異常に暑かったですね。 温暖化の影響かもしれませんが、コンクリートで固...</summary>
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        今年の夏は異常に暑かったですね。
温暖化の影響かもしれませんが、コンクリートで固めてしまったヒートアイランド現象もあるのでしょう。
外出もままならず、テレビの前で座り込むことが多くなってしまいました。
運動不足で体重も増え、腰痛もでて、余計にうっとうしくなりました。
それに輪をかけたのが、クールビズと称してだらしない格好の人達がテレビ画面に映ることでした。
クールに仕事をしようとするのは大賛成ですが、胸元を緩めて、何故上着を着るのでしょうか。
ルーズビズの間違いではないかと思ってしまいます。
涼しく仕事をするためには、上着をとることからはじめたほうがいいのではないでしょうか。
個人的な経験では、上着をとって仕事をしていても冷房が効きすぎて上着を着ることがほとんどです。
        冷房が効きすぎているのでは、温暖化対策にはならないでしょう。
それとも、上着を着ること自体が仕事なのでしょうか。
それなら、胸元もきちんとして欲しいと思います。
日本では、重ね着の文化があるようです。
十二単もそうでしょうが、羽織袴もそのようです。
袴を着けて、羽織を羽織って上から重ねていくほど形は改まっていくのでしょう。
これは、儀礼的なことのように思います。
形さえ整っていればいいわけです。
これとは別に、下着を替えて、香を焚きこめてから仕事にでる文化もあります。
見えない文化です。
こちらのほうがよほどクールに思えますがどうでしょうか。
見た目が全てという人もいますし、クールビズの発案は女性だそうです。
見えないクールは時代に合わなくなっているのでしょうか。
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    <title>古代の単身赴任</title>
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    <published>2007-09-04T04:48:57Z</published>
    <updated>2007-09-05T23:50:14Z</updated>
    
    <summary>近所に「出作」という地名があります。 高松市郊外の田園地帯で、今も農地が広がって...</summary>
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        近所に「出作」という地名があります。
高松市郊外の田園地帯で、今も農地が広がっています。
最も、現代では、香川は、日本一面積の狭いところですから、広大というわけには行きません。
しかし千年以上前では、讃岐の国は起伏の少ない、開墾しやすい地形だったのでしょう。
近くに、三条、六条などの条里制の後の地名もあります。
このあたりを、南海道も通っていたようです。
最近の道路新設前の発掘調査で水路なども見つかっているようです。
文化財保護法で、調査が優先されるようです。
何もしないで上からかぶせてしまうよりはいいのかもしれません。
        余談。
掘れば遺跡、遺物が出てくるのはある意味、不思議です。
時代は、上に上にと覆いかぶさっていくのでしょうか。
横に押し流された者もあるでしょうが、その上にも積み重なっているのでしょう。
閑話休題。
「出作」は、出作小屋からきたのでしょうか。
当時の農村は、開墾で広がっていたのでしょう。
居住地からの距離が次第に離れていったのでしょう。
農作業に往復していては間に合わなくなって、出作小屋を建てて基地にしたようです。
歌集（名は忘れました）に、一人、出作小屋で夜を過ごした男の、妻をこうる歌が残っているそうです。
当時の単身赴任でしょうか。
農業は、当時の最先端ビジネスだったのでしょう。
今の世の、海外単身赴任と同じような気がします。
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    <title>身体検査</title>
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    <published>2007-09-02T04:22:12Z</published>
    <updated>2007-09-02T04:48:39Z</updated>
    
    <summary>最近、新聞などで身体検査という言葉をよく見かけます。 小学校時代にはよく聞いた言...</summary>
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        最近、新聞などで身体検査という言葉をよく見かけます。
小学校時代にはよく聞いた言葉ですが、最近はあまり聞きなじみがありませんでした。
いつの頃からか、健康診断というようになっているのかと思います。
最も、学校から離れたせいで聞かなくなったのかもしれません。
今でも、身体検査という言葉は一般的なのでしょうか。
よく知りません。
新聞等で使っているのは、身上調査、身持ちがよいかどうかの判断を上手に言い換えているようです。
上品な言葉とも思えませんが。
        それで検査の結果をいかして上手くいっているのかといえば、そうでも無いようです。
普通に言えば、検査をすれば何でもわかると思うほうがおかしいのでしょう。
病気の検査と同じです。
悪いのは見つけやすいが、悪くないとはなかなかいえないでしょう。
一般的には、「知らぬは本人だけ」ということですが、「知っているのは本人だけ」ということですか。
公の中でも、もっと公の立場になったらばれてしまったということのようです。
最も、身体検査「甲種」合格は、さっさと他に回ってしまっていて、適任者は少ないということでしょうか。
猛暑というのに、薄ら寒い気がします。
真夏の怪談話が、盆もすんだというのにまだまだ続くのでしょうか。
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