蓮井内科医院
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2006年10月31日

難聴と耳鳴り

歳の所為か、耳の聞こえが悪くなってきたようだ。
それにつれて、時々耳鳴りを感じることがある。
特に、周りが静かなときに聞こえる。
聞こえるというよりは、感じるというほうがあたっているかもしれない。
ジーン、シーン、しとしと、を急に感じたりすることがある。
多くは、ああ、聞こえているなと思っているといつの間にかきえてしまう。
しとしと感は、朝の布団の中で感じることが多い。
今日は雨かと思って置きだしてみると、いい天気だったりする。
それでも、そんな日は、静かな朝のことが多い。

耳の聞こえが悪くなってくるのに、反比例するように、耳鳴りという音が聞こえてくるのは何故だろう。
耳が普通に聞こえるときでも、全くの静寂の中にいると、シーンというような音(感じ)が聞こえることはあった。
そうすると、これは外からの音ではなく、脳が「音」を感じたときのような反応をしているだけなのだろう。
外からの音が無いのに、何故脳は音を感じたような働きをするのだろう。
これには、幻視痛の場合の脳の反応が答えになるかもしれない。
幻視痛とは、自己などで足などを失ったときに、なくなったはずの足などに痛みを感じることを云います。
このときの脳は、失ったところを受け持っていた領域が他を受け持っている周りの脳の勢力拡張に置き換えられて、反応することで痛みを感じるようです。
耳でも同じことが起こっているのでしょうか。
それとも、なにか仕事をしていないと、周囲の勢力に負けるのを見越して無理に仕事をしているのでしょうか。
もしそうなら、人間世界と同じようです。
リストラ、配置転換に抵抗しているのかも知れません。

「しずけさや いわにしみいる せみのこえ」
せみが鳴いていれば、静かではないので、静寂さがせみの声のように聞こえたのでしょうか。
染み入ったのは、「シーン」。

2006年10月22日

古いノート

生来の怠け者だから、身の回りにいろいろな物が積み重なってしまう。
必要になったときに、積み重なった山から、目的物を掘り出して何とかしのいでいいるが、小規模ななだれなどはやり過ごしているが、やはり時期が来るとどうにもならなくなってしまう。
あきらめて整理にかかると、全く使っていないノートが出てくることがある。
表紙などは、上に物が乗っていた部分は、そのままではみ出していたところだけ日焼けしていたりする。
めくってみると、新品の風合いはもうなくなっていて、パラパラとはめくれない。
重さのせいだけではなく、すこし湿った感じもする。
それでもページには何も描かれていないから、処分してしまうのも気が引ける。

見つからなければ、なくなったも同然なのだから処分してもよさそうなものだが、処分できない。
また何か使うこともあるだろうと思って、とっておくことになるが、同じことを二三度繰り返したこともある。
三度目くらいになると、もう無理やりになにかを書いたり、計算に使ったりしてみるのだが、こういうときに限って用がない。
必要なときに、必ず行方が分からなくなるという法則もあるようだが、隠れていた者が偶然見つかるときにも、利用できないときに見つかってしまうという法則もあるのかもしれない。
はっきりしているのは、自分が怠け者の他に貧乏性でもあることだろう。
戦後に、菓子の包装紙などで代用した葉書も残っているので、そういうものを子供のときに見た刷り込みのせいかもしれないと、ぶつぶつと一人言い訳をしているような気分ではあります。

2006年10月12日

「尿」の話

尿は、「にょう、ばり、ゆばり、しと」と読みます。芭蕉の句に、「・・・・・馬がバリする・・・・・」があります。
色は、麦わら色が普通です。汗とか運動とかで濃くなったりすることは在ります。赤くなったり、白く濁ったりすれば、異常です。
臭いは、飲み物や食べ物によって変わりますが、体から出たばかりの尿は、わずかな芳香臭がある程度であまり臭いません。空気に触れた尿は、細菌が棲みつき、尿素からアンモニアが作られます。甘酸っぱい臭いは要注意です。糖尿病などで糖が上手く利用できないと、脂肪をエネルギーとして利用しますので、そのときに出てくるケトン体が、尿に排泄されて、甘酸っぱく臭います。
回数は、日中は、5~7回、夜は0~1回位が目安になります。量は1日約1000~2000mL位ですが、運動や、水分の摂取量によって変わります。あまり回数の多いのは、「頻尿」です。精神的なことでも頻尿になりますが、腎臓、尿路、膀胱、前立腺の異常で頻尿になることが多いです。もちろん量の多すぎるのも、少なすぎるのも異常です。

一般的には、体から出たばかりの尿は、無菌ですのできれいなものです。
尿意は、膀胱に尿がたまって、膀胱の筋肉が伸びてきたのを(圧がかかってきたのを)知覚神経が感じて、脳に連絡をします。脳が、溜まってきたと判断すれば、尿意を感じて、排尿になります。あまり溜まっていなくても、脳が溜まったと判断すれば、尿意を催します。
排尿は、尿道括約筋を緩めることでおこります。自分の意思で括約筋を緩めない限り、排尿はがまんできます。我慢の限界は、300~400mLくらいです。だいたい、コップ2杯分ぐらいです。女子は、男性より括約筋の力が弱く、尿道も短いので、我慢が利きにくいといわれています。

2006年10月08日

仲秋

いつの間にか涼しくなってしまいました。
この頃になると、月見かなと思ってしまいます。
6日は中秋でしたが、雲明かりだけで、月は出ませんでした。
無月というのだそうです。
この時期の満月は、大体見られないようです。
十年に一回くらい見られる確率だそうです。
そうなると何とか見てみたくなるのが人情でしょうか。
翌日になって見られたら、満月ではないが、これはこれでいいもんだと云うことになったのでしょうか。
十六夜の月と名をつけて楽しんでいます。
昨日は、見事な月が見られました。外出時に電車の窓から、軒をかすめてまだ輝きの乏しい月の出をみました。
前日見られなかったのでそれでも満足しましたが、夜が更けて中天に上った輝くばかりの十六夜月を堪能しました。
秋の月は美しいですね。
ゆっくり月を見るには、久しぶりでしたが、見ている間は体が開放されたような感じでした。

十六夜でも月を見ることができなければ、少々意地になるかも知れません。
翌日は、立待月、それでもだめなら、居待月、臥待月と続いていきます。
だんだん出るのが遅くなってきますので、一度見たらもういいのかもしれません。
古代でも、月は夜空を見上げれば世界中どこでも見ることができたでしょう。
地上を見渡すより上を見るほうが遥かによく見えたはずです。
天文学のほうが太古から正確に発展したと思います。
地平のかなたは水平で果ては断崖、海の果ては滝で終わっていたと想像するよりは、天空のほうが遥かに正確に想像できていたと思います。
人間は、情報が多いほうが正確に判断できるのでしょう。
情報の正確さは問題になりますが。

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