蓮井内科医院
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中庸

 中庸は徳とされています。儒教での中庸とは、きっと難しいに違いないので読んで似ようとはなかなか思い立ちません。私の頭で勝手に理解している「中庸」のイメージは真ん中とか偏らないとか位の理解です。これが寄り合いなどでの話し合いで中庸を目指したらどうなるでしょうか。中庸を旨とすると、いろいろな意見の真ん中に就こうとするのではないでしょうか。大勢の真ん中あたりが居心地がいいと思うと大体は体制に就くようになるのではないでしょうか。このような時は、わずかの偏ったというか、積極的な意見があれば、そちらのほうに重点がかかった結論が出るでしょう。また、別の少数の意見が出れば、そちらに傾くことになります。簡単な「中庸」を大勢が支持する場合は、少数の目指す方向に話がまとまります。

 世の中の流行とかムードとかはこんなことで右往左往とゆれているのではないかと感じます。それも、普通よりも大きな振幅で短時間にゆれているのではないでしょうか。子供は、さっき泣いていたのにもう笑ったですみますが、大人の場合にもこれでいい名でしょうか。ギャートルズという漫画で、原始人が土煙を上げて、右に左に走り回っている場面がありましたが、あれを見たときと同じ感覚になります。単純な「中庸」を守ることは、少数な偏った方向へ進むエンジンの役割になってしまいます。いくらパワーをあげても方向は少数派が握ってしまいます。「中庸」などと構えているよりも、見当違いでも自分の考えをもって、寄り合いに出たほうが、腑に落ちる方向が決まるし、きっと正しい方向になるのではないでしょうか。独立を保った人が、それぞれの経験を持ち寄って問題解決にあたったらかなり納得の行く解が見つかるでしょう。いるら偉い人が集まっても同じ立場の人ばかりでは、問題解決になら無いでしょう。専門家でも独立していなければ、問題は解けるどころか余計複雑になるのではないでしょうか。
 
 サプリメントなどの健康情報も、皆がやっているからなどと流行に乗っているといつの間にか梯子がなくなっていたりするかもしれません。

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