万年筆
いつの頃からか、ボールベンを使うようになっていた。使ったときの硬さがきになって、できるだけ当たりの柔らかいものを選んでいたが、それでも滑ったりするのが気になってきた。そこで、何十年ぶりかで万年筆を使い始めた。使ってみると非常に気持ちがよい。抵抗無くすべるようにかける。緩急も強弱も重い道理になる。別にそういうことを意識して書いているのではないが、書いた結果に現れる。自分が書いているのはこういう字であったのかと、妙に納得させられる。自然に太さも変わっているし、曲線で書けるのがなんともうれしい。筆というとうり、毛筆で書いているような感覚が戻ってくる。もっとも毛筆ではとてもかけないので、万年筆を発明してくれたことに感謝するばかりです。
どうして万年筆よりボールペンが普及してしまったのだろうか。鉛筆もよかったように思うが、最近でも使われているのだろうか。
鉛筆は、削るのが面倒だし(讃岐弁では、トンガラスと云います)、削り滓の処理も面倒かもしれません。その点では、万年筆では、インクの補給だけで済みます。ボールペンは、ほぼ使い捨てなのでしょうか。芯を替えるまで使うようになったのは、自分で仕事を始めて、書くことが多くなってからでした。コピー技術が進まで、複写のために筆圧が必要だったのでボールペンになったのでしょうか。最近は、複写よりコピー(同じ意味ですけれど)の方が多くなったようですし、万年筆の復活はもうすぐかもしれません。あとは、サインが印鑑になれば、あまり複写に頼ることもなくなるでしょう。
書くことも、楽しいものかもしれません。