蓮井内科医院
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2006年03月25日

いわしの缶詰

 大イワシの缶詰を食べました。最近の缶詰は生産者がこだわって旬の素材を選んで作っているので旨いという話を聴いたので、それではということで買ってきたものです。味付しょうゆ味と書いています。おいしさの秘密は、素材のこだわりですとも書いています。長径16cm.短径11cm.深さ3,5cm.の楕円形の缶で、金色をしていて、昔も弁当箱のような外観です。
 缶を開くのはやはり缶きりが必要でしたが、1分くらいで開けることが出来ました。切り口で指を切ったことを思い出して少しは昔の感覚を思い出したりもしました。頭と尻尾を除いて胴体で筒切りにしたいわしが2匹分、4個入っていました。揚がったときには30cm以上はあったかと思われる大きなものでした。
 大いわしとは、いわしの大きなものの一般的な呼び名でしょうか。それともそういう種類のいわしがいるのでしょうか。こちらではあまり大きなものは見かけません。

 味は予想外の美味さでした。骨の中まで、旨みと脂が沁み込んでいてしっかりしているがさっぱりした甘みは、感動的でした。骨もおいしくやわらかくて、食感に変化をあたえていて、魚の小骨が立つなどという感覚は全くありませんでした。前からこんな風だったのでしょうか。旬の素材をいつでも食べれる缶詰の美味さを発見しました。
 しばらくの間、色々な缶詰を食べてみたいと思っています。

2006年03月16日

交感神経と高血圧

 人間の神経系には自分の意思で筋肉などを動かすことの出来る随意神経と、心臓や血管の平滑筋を働かせる自分の意思ではコントロールできない自律神経(不随意神経)があります。この自律神経も、交感神経と副交感神経に分けることが出来ます。この両者はそれぞれで働きが異なります。両者はつりあって働いているのですが、副交感神経が働いているほうが、人間の平常状態のようです。
 交感神経は危機に陥ったときに亢進した状態になります。火事場の馬鹿ジカラの状態です。敵に襲われたときになる状態が交感神経緊張状態です。目を見開いて、鳥肌が立ち、顔色は青くなります。敵に襲われ、出血すれば、命にかかわりますから、体は準備をします。血管は収縮して出血を抑えようと反応しますから血圧は上昇します。傷ついて出血が始まりますとできるだけ早く血液を固めて出血を抑えようとします。当然血液は固まりやすくなります。出血して血液が失われますと、血管の中を循環する血液量が減りますので虚脱(ショック)になります。体は腎臓で水分を再吸収を増やして循環体液量を増やすように働きます。 こんな風に交感神経は危機に対応して働きます。普段は働きすぎないほうが平和なのです。

 高血圧は、非常に多い病気ですが、交感神経が亢進すれば血圧は上がりますし、血圧が上がれば交感神経は緊張します。ですから、高血圧の人の体は、常に緊急事態に対応していることになります。動脈は収縮反応をおこします。その中を流れる血液は非常に固まりやすくなります。さらに腎臓は水分を取り込むように働きます。そうすると、血圧はさらに上がるようになり悪循環になります。血管の筋肉も硬くなり血液も粘張度もあがり動脈硬化が発生します。その結果、心不全、心筋梗塞、脳梗塞、腎不全を起こします。さらに最近になって、高血圧は糖尿病を引き起こすように作用することが判って来ました。
 高血圧は初期には痛くも痒くもありませんが非常に重要な病気であり、兆候です。倒れる前にしっかりとコントロールすることが必要です。
 家庭血圧で135以上あれば明らかに高血圧です。朝起きてしばらくの間だけ高血圧のこともあります(早朝高血圧)が、この場合でも脳卒中の危険は数倍に跳ね上がっています。

2006年03月15日

ハードとソフト

 最近のものには似たようなものが多い。車などは、外観を見ただけでは車種はおろかメーカーさえもわからない。こっちが年を取ったせいだろうが、教えてもらってもわずかな違いだけしかわからない。空気抵抗とか排ガス規制とかを考えると同じようになってしまうのかもしれないが、味気ないことは否めない。また、コスト削減のために、部品などでも共通化して大量生産による経費削減を図っているのだろう。それでも車も道具だから用途に応じて多様な形になるはずだが。
 元来、日本人は、同じもので満足はしなかったと思うのだがいつからこれでよくなったのだろうか。軍隊では支給された服や靴に体のほうををあわせたというがその名残かなどと思ってしまう。あわせてしまったらその先はないだろう。
 もっとデザインとかソフトに価値を認めたほうがいいのではないかと思うが、なにか新しいことを付け加えると、すぐまねをするものが出てくるようだ。それがそこそこはびこって、あるいは取って代わってしまうのはどうしてだろう。

 ブランド品もよく売れるそうだが、ブランドもどき品もよく売れるそうだ。そうすると、ブランド品も本当のブランドにはなっていないのではないか。少なくとも実用の用にはなっていないだろう。無用の用もどき位だろうか。
 最近のものはよく壊れるし、修理ができないことが多い。大量生産では、こちらがあわさなければ使えないものが多すぎる。結局おもちゃのような扱いになってしまうし、それに慣らされてしまうことが多い。
 自分で作らなければだめかもしれないが、能力が無い。本当のプロは黙っているから判らない。

 ナイナイずくしできりが無い・・・という唄があったようだが。

2006年03月08日

お金の値打ち

 お金で買えないものは無いという人もいるようですが、本当でしょうか。百万円の札束も見たことの無い私には想像もつかないほどの額のお金を手に入れても、使い方にはあまりこれというのは無いようですね。皆同じようなことに使っているように見えます。実際に見たわけではありませんが、マスコミなどの人の口の端に上るのはどれも同じようなものです。車、ヨットなどが手始めで、自家用飛行機、今ははジェット機でしょうか。馬を持ったり、タニマチになったり。挙句は名画を手に入れ、死んだら一緒に焼いてくれだって。一生かかっても使い切れないほどもお金を稼いだ人の使い方としては、想像力が無さ過ぎるように思います。立派な人は、だまってきれいに使っているのでしょうが、こういう人の話は、こちらには届かないようです。

 大金の使い方に思い入れが少ないのは、なぜでしょうか。これはきっと、印刷法が発見されて、お札も手軽に印刷が出来るようになったからではないでしょうか。印刷法が発明されるまでは、文化にしても、芸術にしても、頼み込んで写本にさせてもらったり、実物を観るために長距離を旅したりすることが必要だったのでしょう。自分が手に入れたものには十分な思いがあったと思います。印刷が出来るようになると、写本などは見向きも去れず、大量印刷の本が出回り、大量の浮世絵がもてはやされたのでしょう。楽に手に入りますから。神も仏もお札で済まそうと思ったかどうかは知りません。お金も困ったから紙にしてしまったのでしょう。藩札は今も散見できますが、骨董か資料的価値のみだそうです。明治以後の紙幣も将来はどうなるのでしょうか。たくさん持っている人の使い方がずいぶん雑ですから、骨董的価値になってしまうのかもしれません。
 金で変えないものを手に入れた方がきっと価値があり、満足も大きいと思います。

 税金も骨董にならないですかねえ。

2006年03月01日

三月

 もう三月になりました。雨の月初めです。
 三月は英語ではMarchですが、行進曲も同じ綴りです。ローマ神話の戦争の神マルス(Mars)の月だそうです。日本の戦国時代も、春が来て雪が解ければ、戦闘再開だったので同じ様なことでしょうか。中国では天高く馬が肥える秋が戦争準備なのでしょうが。その意味では、新暦ではまだ早すぎるように思います。まだ雪が解けきっていません。旧暦のほうが体感的にもいいように思います。
 今日は旧暦二月二日。年をとってくると自然の移り変わりがしっかりと身に沁みてくるように感じます。やっと自然と共生できるようになって来たのでしょうか。雨が降っても春が近いのを感じます。桜が咲くころが旧暦の三月でしょうか。
 暦を決めるのは、その時代の皇帝なり王様なりの権力者ですから、太陰暦にしろ太陽暦にしろ必ず隙間なしに決めているようです。うるう年やうるう秒を作っても遊びの時間は作らないようです。

 一年を三百六十五日と決めて、一週間を七日と決めれば、割ってみると一日あまります。三百六十五日目を浮いた時間にして全くの自由な余裕の日にしてもよいように思います。
 実感にあう暦を作って、余ったところは無所属にすれば、私にとっては楽になってうれしいのですが、王様は国民を自由に遊ばせておくのはもったいないのでしょうか。車のハンドルにも遊びが必要でしょうし、全てのことに余裕が無ければすぐ折れてしまうと思います。

 無事これ名馬・・・。

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